アンペルマン

信号機 ベルリン

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「子どものころは動物園の園長さんになりたかったんだ」(Markus)、「わたしは考古学者になりたかったの」(Barnara)

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インダストリアル・デザイナーを目指すきっかけは?
Markus
子どもの時、小さい頃は動物園の園長さんになりたかったんですが、一方でアイデアを物にしたり形にしたりすることが大好きでした。実際にデザイナーになろうと思ったのは15、6歳の頃です。
大学卒業と同時に奨学金を得て、イタリアのミラノで高名な建築家/デザイナーAnna Castelli-Ferrieriの元で学ぶことができました。同時に、ミラノの生活習慣、イタリア人の生き方には、大きな影響を受けました。そして、インダストリアル・デザインが、生活を豊かにするということ、そしてインダストリアル・デザインのアプローチは技術的な面だけではなく芸術的な側面からもあることを知りました。
Barbara
最初は考古学者になりたかったんですが、当時は考古学者イコール国家公務員という選択肢しかなかったことと、考古学の世界が完璧な『男社会』であったことが理由で父に反対されて。その後、クリエイティブなことをして毎日を素敵にできたら・・・それを叶えるための仕事をしたいと思ったのがデザイナーを目指したきっかけです。14歳の時でした。
元々、子どもの時から絵を描いたり工作するのが好きで、美術史に興味があり、バウハウス(※)に傾倒したり、ル・コルビュジェ(※※)に憧れがありました。父はクリエイティブな職業に就くということには大賛成したから、16歳から3年間、絵画学校に通わせてくれました。そして大学はミュンヘンでインダストリアル・デザインを専攻しました。

※バウハウス;1919年ドイツ・ワイマールに設立された芸術造形の総合学校。芸術と工業技術の統合を目指した教育・研究は、さまざまな建築家や芸術家に影響を与えた。
※※ル・コルビュジェ;20世紀前半、主にフランスで活躍した建築家。
ベルリン写真1 ベルリン写真2
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ベルリンで仕事をすることになったのは、どのような経緯ですか?
Markus
イタリアから戻って、故郷の南ドイツの会社でデザイナーとしての職に就いたんですが、もう一度、外国か大都市に行きたいと思いべルリンを訪れました。1995年のことです。まだまだ可能性が溢れている素晴らしい町という印象でした。
Barbara
ミュンヘンで勉強している頃からずっとべルリンに行きたい、住みたいと思っていました。1993年に初めて来て、保守的なミュンヘンと比べて世界都市べルリンへのあこがれは一層つのりました。大学の友人を介してべルリンの彼のデザイン事務所でMarkusと知り合ったことで、それが意外と早く実現しました。

自分の出した音の上で他の楽器がメロディを奏でるのは心地よいものです

ベルリンの壁1 ベルリンの壁1 ベルリンの壁1 ベルリンの壁1 ベルリンの壁1 ベルリンの壁1
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Ampelmann(アンペルマン)との出会いはどのようなものでしたか? 1996年、ベルリンの街から撤去された信号機を引き取って赤と緑の信号型ランプを作ったというお話ですが、その時の様子を教えてください。
Markus
当時の旧東ベルリンは、今のような看板やネオンがきらめく首都ベルリンとは大違いでした。映画でしか知らなかった趣のある古い昔の大都市は、薄暗くてモノトーンの街でした。そんな街並の中で、交差点に立つ歩行者用信号機のAmpelmannは、その愛嬌のある形の緑と赤の灯りがひと際目立って見えて、とても印象深かったんです。Ampelmannが他のものと同じように『西のスタンダード』に交換されていく様を目撃し、そのおもしろいデザインが外されることを非常に残念に思ったのと同時に、交換されて不要になった(たくさん転がっているはずの)グラスを使って何かできないかと考えました。
交換された信号機は簡単に手に入るものと思って担当部署に電話したのですが、予想外に手こずりました。ドレスデン、ライプチヒなどベルリン以外の旧東ドイツの町にも電話をかけまくりました。そうしているうちに、いろいろな関係者とコネクションができました。Ampelmannの考案者・交通心理学者のKarl Peglau(カール・ペグラウ)氏との出会いもあり、Ampelmannに関することを深く知るようになりました。

【画像】
1・2…ベルリンの壁跡
3…撤去されたAmpelmann信号機
4…信号型ランプを作成中のMarkus
5…信号型ランプをトラバント(旧東ドイツの国民車)で配達する様子
6…Karl Peglau氏とMarkus
3~6はAmpelmannグッズ誕生期の貴重な写真(提供:AMPELMANN社)
Markus
壁崩壊(※※※)以降、旧東ドイツ独自のいろいろなもの――多くの会社、そのシンボル、公共のマークなど――は消えていきました。旧東ドイツ国民にとっては、東西ドイツ統一は手放しで喜ぶことばかりではないという現状を知り、またアイデンティティーを見失っている人が多くいることも知りました。現在ではAmpelmannがほぼ唯一の、誰の目にも触れる『旧東ドイツのデザイン』です。
Ampelmannグッズの第一号(当時の信号機と同じガラスを使ったランプ)と同型のランプは現在も販売しています。ちなみに、最初に作った第一号ランプは、私の家に置いてあります。

※※※(ベルリンの)壁崩壊;第二次世界大戦後の冷戦の象徴であるベルリンの壁は、1989年11月9日、東ドイツ市民の事実上の旅行自由化によって実質的に無意味となり、東西ベルリン市民によって壊された。