高橋徹

ベルリン フィルハーモニー管弦楽団

コントラバスなら、今からならおそらくかなり早い(当時はそうでした)

―音楽家、その中でコントラバス奏者を目指した経緯について教えて下さい。
まず、5歳のとき、音楽好きの母、べルリンに留学したオーボエ奏者の6歳年上の兄の影響でピアノを始めました。コントラバスを始めたのは、直接的には中学2年生の時にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下「ベルリン・フィル」)公演を初めて東京で聴いてコントラバス・セクションに感動したからです、ときれいにまとめたいところですが、真実は少し違います。

小学生の頃、弦楽器=ヴァイオリンをやりたい、と言っていたのですが、楽器購入も含めていろいろとお金がかかることを知っていた母に、「ヴァイオリンはピアノが上手くなったら始める楽器!」とかなんとかごまかされ、そのヴァイオリンをやりたい時期は過ぎ去りました。
中学生になって将来のことを家族で相談した時に、音楽家になりたい! チェロなら、今からでもギリギリ間に合う、コントラバスなら、今からならおそらくかなり早い(当時はそうでした)ということから、前述したベルリン・フィルのこともあり、決まりました。今となっては最良の選択だったと思っています。

ドイツ ベルリン

―その後、音楽大学への進学ではなくベルリンへ留学されたのですか?
高校在学中にカラヤンとベルリン・フィルが来日した際、オーボエ奏者の故ローターコッホ氏の紹介で第一首席奏者Friedrich Witt先生に協奏曲を聴いていただき、弟子に加えていただいたのがきっかけです。場所はベルリン・フィルの練習場だった京王プラザホテル(東京・新宿)の宴会場でした。集中して弾いていたので気づかなかったのですが、終わったら拍手が聞こえてきました。練習場に早めに来た団員達が後ろにずらっと並んでおいででした。
このとき、Witt 先生曰く「弟子にしてあげるしカラヤンアカデミーにも入れてあげる。しかし、日本人でも自分の弟子になるならドイツ語はちゃんと習得してからべルリンにおいでなさい。」つまり、ドイツ語を話せるようにならなければ弟子にはしないということでした。友人たちが大学入試のために共通一次試験(現在のセンター試験第一回目の年でした)の準備に追われる中、僕は代々木のドイツ語学校に毎日通っていました。先生のお言葉がなかったら、ドイツ語はもっとのんびりと勉強していたかもしれません。語学は早ければ早いほど、そして集中的にやるのが◎。5年かけてゆっくりと、なんていうのは時間の無駄です。後に音楽家以外にドイツ語を使う仕事ができるようになったのも、この先生のお言葉のおかげかもしれません。

自分の出した音の上で他の楽器がメロディを奏でるのは心地よいものです

―現在はオーケストラの他にはどのような演奏活動をしていらっしゃいますか?
聖ヘドヴィヒ教会古楽アンサンブル バロック・アンサンブル(ピリオド楽器アンサンブル)の経験は長く、ベルリンの壁崩壊(1989年)後すぐにカトリック大教会St.Hedwigsの聖へドヴィヒ教会古楽アンサンブルに参加したのがきっかけでした。現在はCammermusikPotsdamに所属しています。
EnsembleL’estorArmonicoBerlin。これはコントラバス(つまり僕)が入った室内楽を演奏するアンサンブルです。トランペットと弦楽/コンティヌオ(通奏低音)や、バロックばかりでなくクラシックやロマンティック、現代曲までの弾きたいと思う仲間と室内楽を探求し、そして楽しむ団体です。ですから、現在活動の比重が高いチェロとコントラバスのデュエットも、この名前で出演します。

―ズバリ、コントラバスの魅力は何ですか?
コントラバスの魅力 コントラバスは、運ぶには重い。音楽を追求していけば必ずやりたくなるソロ活動には向いてない。同じメロディを奏でるにしてもヴァイオリンやチェロよりもはるかに難しいし、一般的観点からはオーケストラでの「美味しい場面」は少ない楽器です。
でも、土台がしっかりしていないと家は建っていられない。そういう意味では、オーケストラでもアンサンブルでも最低音は要です。地味ですけれど、自分の出した音の上で他の楽器がメロディを奏でるのは心地よいものです。 僕は、柔らかい美しい音でメロディを奏でる楽器を引き立たせつつ、音楽的には「主張をするコントラバス奏者」を心がけています。

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